ハズキの「拡大視」の謎を解く
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ハズキの「拡大視」の謎を解く
岡本隆博
メガネ屋も眼科医も知らない


たとえば、+2.50Dの既製老眼鏡でものを見るのと、
同じく+2.50Dのハズキルーペでものを見るのとでは、大きさに違いがある。

ハズキで見るほうが、ものがより大きく見える。

なぜそうなのか……その機序(仕組み)は?……となると、
メガネ屋や眼科医でも、その理由を明確に説明できない人が多いと思う。

ましてや、光学の専門家でない人であれば、
ハズキだとなぜ同じ度数の老眼鏡よりも物が大きく見えるのか
ということを理解している人は、ほとんどいらっしゃらないと思う。

なぜハズキは老眼鏡よりもものが大きく見えるのか?

「ハズキは老眼鏡ではなくてルーペだから……」

それでは答えにならない。

「ハズキのOCD(光学中心間距離)が48mmだから」

それはそうなのだが、では
48mmだとなぜ大きく見える?

「ベイスインプリズムが負荷されるから」

はい。ではなぜベイスインプリズムにより、ものが大きく見える?

「ううん……」
謎である。

この項では、その「謎」について、わかりやすく解説をしてみたいと思う。

その答えは、下記の2点である。
(1)ハズキはVD(角膜頂点間距離:眼とレンズとの距離)を長めに使うことが多い。
(2)ハズキのOCDが48mmである。


まず(1)について説明する。

ハズキのペアルーペ、というのがあった。(いまも、一部で流通しているらしい)
これについてはこのサイトの「ハズキ以前の双眼ルーペ」のところで紹介したが、
これは、その鼻当ての造りにより、メガネ型式の双眼ルーペ
(あるいは、既製老眼鏡)としては、いやでもVD(眼とレンズの距離)を
せいいっぱい長くして使うように造られていた。

すると、普通に掛けて使う老眼鏡よりも、網膜像はやや拡大する。

どの程度の拡大になるのかというと、たとえば2.5DでVD12mmで使うのと
VD60mmで使うのとで比較してみると、度のないレンズでものを見た場合に比べると、
前者では網膜像が5%程度拡大するのに比して、後者では2割程度の拡大が得られる。
(その計算式については、このサイトの別項に示した)
この差は決して無視できる差ではなく、誰でもが実感できる差である。

しかし、ハズキペアルーペで採られたこの可動式の鼻当てによる
「強制的なVD確保の手段」は、それに続くスマートなデザインのハズキルーペ
(以下、このPart1からPart3までのハズキを「旧ハズキ」と呼ぶ)では、
鼻当てに採用されずに、
その旧ハズキにおいては、
ただ説明書に、「レンズをなるべく眼から遠ざけて(鼻先の方に遠ざけて)
使ってください」という趣旨の文が入っているということにとどまったのである。

ただし、それでもやはり、普通の老眼鏡に比べると、
ハズキはほとんどの場合に、VDは普通の既製老眼鏡よりも
長めに使われることが多い。
それはなぜか・・・・・


その理由は、ふたつ


A.鼻根の上の方の、装用間隔で落ち着く箇所に、
旧ハズキの鼻当てを当てると、レンズの位置が上に上がりすぎて、
手元を見る下向きの視線はレンズからはずれてしまう
ということになりがちであるから、自然にレンズを下げて使う……
ということは、とりもなおさず、鼻当てが当たるところは鼻先に近づき、
VDは長めになるのである。

(この使い方で仮にVDが60mmまで伸びると、
網膜像は約2割拡大するということは、さきほど述べた)

B.旧ハズキにおいても、重ね掛けが勧奨されていた。
重ね掛けだと、眼とハズキのレンズとの距離(VD)は
普通のメガネよりも当然長めになる。

(この使い方により、たとえばVDが30mmになったとすると、
網膜像は約10%拡大するから、やはり同じ度数の既製老眼鏡で
普通のVDで見たとき(拡大は約5%)よりも、ものが大きく見えるのである)

ではハズキルーペの新製品Part.5ではどうか。
この場合は、もはや使用説明書においては、
鼻先で使うことの勧奨はなされていない。

しかし、その鼻当ての位置などの理由により、やはり、
通常の既製老眼鏡よりも、VDは長めで使用されることが多いようで、
そうであればやはり、そのせいで、同じ度数の普通の既製老眼鏡よりも
ややものが大きく見える。
ただし、Part.5では、+1.3Dもあり、その場合には、VDを多少長めにしても、
網膜像の拡大率はたいしたことがなく、VD30mmなら5%程度、
VDを60mmまで伸ばしても1割程度である。

この理由による「像の拡大」は、あとに述べる「OCD48による拡大」とは違って、
・計算ができる。
・VDの設定距離の違いによる個人差が大きい。
という点に特徴がある。

また、この効果、すなわち、
VDを長くすることによる網膜像の拡大効果は、
ハズキだけでなく、
100円ショップにもある既製老眼鏡や、
普通のメガネ店で調製販売される凸レンズによる近用眼鏡
(近く専用メガネ)においても、得られるものである。


(2)についての説明


ハズキは、ペアルーペも、旧ハズキも、ハズキ5も、どれにおいても、
OCDは48であるが、ハズキ5よりも前は、
ハズキの度数は+2.5Dだけであった。

たとえば、+2.5Dの既製老眼起用なら、そのOCDは60〜64mm程度のものが多い。
たとえば、特殊な折りたたみ式でコンパクトなイタリア製のnanniniという
既製老眼鏡(輸入元:(株)サイモン)がある。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/loupe/simon-002.html

この+2.50DのもののOCDは、63mmであるが、
このOCDは、あまり好ましいものではない。
なぜなら、この距離は、男女を平均した遠見PD(瞳孔間距離)にほぼ相当し、
(日本人でも外国人でもあまり違いはないだろう)近くを見るときのPDよりも、
ずっと広いからである。
仮に、ある人が遠くを見るときのPDが64で、
近くを見るときのPDが60mmだとすると、
OCDが63であれば、近くを見るときに
約0.7△前後のベイスアウトプリズムが眼に負荷される。
(プレンティスの公式で近似計算ができる)

そうすると、近くを見るのに人間の眼は「輻輳」すなわち内寄せがいるのだが、
そこにベイスアウトプリズムが負荷されると、さらに強めの輻輳が要求される。
これは、人に寄っては眼精疲労の元になり、長時間の使用では見るのが
イヤになってきたとしても、まったく不思議ではない。

ではハズキではどうか。
OCDが48であるハズキを、たとえば、遠見PD64の人が使うと、
(64−48)×2.5÷10=4 となって、
約4△のベイスインプリズムが負荷される。
ということは、たとえばこの人が眼の前32cmあたりを見るのには
両眼で20△の輻輳が要るのだが、ハズキの「4△ベイスイン」により、
その輻輳が2割がた節約できる、というか、助かるのである。

これは眼の緊張感が緩和される、という意味と、
眼の(ピント)調節が少なくなっているのだから
その分輻輳も少ないほうが自然、
ということから、
普通は楽に手元のものを見ることができるのである。

そして、輻輳量が減るということは、
眼は相対的に開散するということであり、
眼が開散するということは、
像を大きく見せる作用をもたらすのである。

ではなぜ、眼が相対的に開散すると、ものが大きく見えるのか。

その場合の像の変化の大きさは、このサイトの別の項で述べたように、
網膜像の大きさの変化ではなく脳内映像の大きさの変化、
すなわち、純粋に感覚的な問題なのであるが、

まず、その機序はともかくとして、その「現象」は、
実は、プリズム入りのレンズを装用することをしなくとも、
簡単に実感できるのである。

それは何で実感できるのかというと、皆様おなじみの「裸眼立体視」である。



裸眼立体視でわかること


「裸眼立体視」という言葉における「裸眼」というのは、
本来の意味での「裸眼」ではなくて、
赤青フィルターとか、偏光フィルターとか、あるいは立体ビューアーなどの、
平面的なものを立体に見るための
特別な光学的な道具に頼ることなく立体感を感じる、
という意味での「裸眼」なのであり、
文字どおりの「裸眼」ではなく、普通のメガネ(遠見用あるいは近見用)を
かけて見ても、いっこうにかまわないのである。

それで、ご承知のように、裸眼立体視には平行法と交差法があるが、
前者の場合には近見での眼の輻輳量は増え、
後者の場合には輻輳量は減る。
輻輳が減る、ということは、とりもなおさず、
相対的に開散するということなのであるが、
裸眼立体視の平行法で、画像などを見ていただくと、
どなたでも、元の絵よりもやや大きく見えていることに気が付くと思う。

すなわち、「相対的な開散は、ものを大きく感じさせる」わけである。

ではなぜ、眼が相対的に開散すると、ものが大きく見えるのだろうか。
その答えは以下の通りである。

(a)眼がある輻輳量であるものを見ているとする。
(b)次に、同じ距離の同じものを、何らかの手段により眼の輻輳量を減らして、
すなわち、相対的に開散して見たとしよう。

そうすると、眼の輻輳量が減ったことにより、
脳は、同じ距離にあるものを、
より遠くに移ったものなのだ
と、誤った認識をしてしまう。



一種の錯覚


それでいて、網膜に写っている像の大きさは、
(a)のときの大きさと同じであるがゆえに、
脳は「遠くにあるものが元の距離にあるものと
同じ大きさで網膜に映っている」と解釈し、
(a)に比べると(b)ではやや大きいものが
やや離れて存在しているのだ、
という解釈をせざるを得ない。

そして、脳は、まことに見事に、というか、素直にというか、
解釈したとおりに、そのものの大きさを自動修正して
見てしまうのである。

ゆえに
「眼は同じものを相対的に開散して見ると、大きく『感じて』しまう」
わけなのである。

なお、ついでにのべておくと、
裸眼立体視において、
交差法ではものがよりシャープに見え、
平行法では、ものがややマイルドな感じに見えるのであるが、
それは、前者では輻輳量の増加により瞳孔の大きさが
より小さめになる(縮瞳という)からであり、
逆に後者では、開散することにより
瞳孔がやや大きくなる(散瞳という)ので、
ものの見え方がやわらかめになるのである。

ものをシャープに見すぎると脳の緊張感は増し、
マイルドに見ると、脳の緊張は和らぐようである。
(それは、ハズキに限らず、凸レンズで見る近用眼鏡において
OCDをうんと短く設定すれば、同じ効果となる)

なお、ハズキの設計者は、ハズキのレンズのOCDが
極端に狭いことにより、ものがより大きく見える、
ということについては、当然わかっている。
(だからこそ、
「ハズキは既製老眼鏡ではなくルーペだ」と
言うのである)

そして、ベイスインプリズムの負荷による
像の拡大視であることも、
おそらく知っているだろう。

しかし、「なぜベイスインプリズムにより、ものが大きめに見えるのか」
ということまでハズキの設計者は知っている……
かどうかということまでは、私にはわからない。
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